信州 小布施にある曹洞宗梅洞山岩松院 岩松院HP 北斎・一茶ゆかりの古寺として有名 開創設は文明4年(1472年)雁田城主の荻野備後守常倫公の開基で、開山は不琢玄珪禅師。 本堂は136.5坪。その他庫裡、鐘楼、座禅堂、仁王門がある。 本尊仏は宝冠をいただく釈迦牟尼仏で、江戸時代初期(慶長かその直後)の作。 かつて北斎や一茶も訪れたこの寺の本堂大広間の天井を飾るのが、「八方睨み鳳凰図」。 21畳敷の天井いっぱいに五色の翼を広げた鳳凰は、 北斎が没前年(1848年)の89歳に描いた集大成ともいえるもの。 このほか福島政則公の霊廟、由良哲次氏歌碑、高井鴻山頌徳碑などがあり、 高台からは善光寺平と北信五岳が一望できます。 駐車場から全景
裏庭には松の古木の下に小さな池があり、桜が満開になる陽春には、 何百というヒキガエルが集まって求愛をする「カエル合戦の池」としても有名です。 そのカエルたちを見て一句したためたといわれる小林一茶の 「痩せ蛙 まけるな一茶 是にあり」の句碑が池のそばに立っています。 福島政則公の霊廟 福島正則(1561〜1624)元亀天正年間の戦国武将豊臣秀吉の重臣として賤ケ岳の戦いでは 「七本槍の第一」と称せられ、また関ケ原の合戦でも勇名をはせ、広島城(49万8千石)の大大名になったが 幕府の謀略により元和5年(1619)秋、この信越地方(4万5千石)に国替えさせられた。 在信5年で悲運を嘆きつつ寛永元年(1624)7月13日64歳で薨じた。 霊廟には遺骨を埋葬し、「海福寺殿前三品相公月翁正印大居士」の戒名を刻む。 遺品には、左遷状や太閤葬儀行列帳などがある。 かつて北斎や一茶も訪れたこの寺の本堂大広間の天井を飾るのが、「八方睨み鳳凰図」。 鉱石をまぜた植物油性の岩絵具を使用のため、極彩色がいまだに保たれ、光彩を放ってる。 構図やかくし絵が把握できるよう、畳の上に仰向けに寝て見ると、 150年たった今も北斎の気魄をそのまま伝え、見る者に迫ってきます。 富士山が「かくし絵」として描かれているので、それを探してみるのもおもしろい。 |