石川門 五十間長屋 金沢城の地には、天文15年に加賀一向一揆の本拠となった本願寺金沢御堂(金沢御坊)があった。 天正8年、柴田勝家は金沢御堂を落とすと、甥の佐久間盛政を配し、 盛政は石川・河北2郡13万石を領し、金沢御堂を戦国城郭へと改修した。 天正13年、能登小丸山城主前田利家が石川・河北2郡を加増され金沢城へ入城し、この城を居城とした。 利家は、今に残るような近世城郭へと大修築を行った。 利家・利長・利常の3代に渡って整備され、同時に城下町金沢も整えられた。 金沢城は、慶長7年に天守焼失、元和6年には本の丸焼失などの災害がかり、 その都度再建がなされたが、天守は再建されず御三階櫓が天守代用に建てられた。 (この御三階櫓も後に焼失) 以後、加賀100万石の居城として明治に至る。 平成13年、金沢城址は「金沢城公園」として再整備され、 二の丸菱櫓・五十間長屋・橋爪門・橋爪門続櫓が復元された。 橋爪門 近代文学館 長町武家屋敷跡 前田土佐守家資料館(左) 老舗記念館(右) 暑さのため観光は終了 近くのお店で昼食をとり、山梨への帰路につきました。 金沢から北陸道・長野道・中央道の約400Km(4時間30分)のドライブです。 |